デュシャン?、俺もデッレ・アルピでみたよ!ユベントスにいたときが一番カッコよかったよねえ~、ってそのネタはソクラテスか誰かでやりましたね。
今回写真撮れなかったんでこれで勘弁勘弁。
たしか18~9のころ近所のホームセンターの画材コーナーで買った洋書。
これを買って読んでる(見てるだけのくせに)俺カッケーな青臭さ。わかる?
イエーイ、レジにて半額!この時他のひとのもいろいろ買いました。俺カッケー
名前も見た目もカッコいいし、作品も意味わかんない感じが当時まだまだ絶賛中二病の俺にどんぴしゃで、結果的に「腕の無さや何やら至らなさすら屁理屈で何とかしようとする」という悪い癖の付いた元凶(デュシャンがそういうやつだって意味ではないです)。あるいは、とか、しかも、といった接続詞のへんてこりんな使い方とかめちゃ「上っ面だけ」影響受けてます(笑)与えられたとせよ!とかね。いまだに中二病は完治していませんなあ。
ちょうど20年ぐらい前に記憶不明瞭ながら多分ポンピドゥセンター(記憶不明瞭ながら多分おパリ)で見たことがあったはずなんですけど、そのときはまだ若気の至りで「ああ、こんな便器まじまじ見ちゃって、まさにデュシャンの思うツボ。ただの便器なのに・・・かわいそうなイエローモンキーねぇ」なんて透かしたパリジェンヌにこそこそ舐められるのではないか?という不毛な自意識が邪魔をしてロクスッポ見てなかったような気がします。あんまり記憶にありません。
で、その便器、今回はまじまじ見てきました。もちろんヤキモノ屋目線で。
どのぐらいまじまじと見たかってのは「ガラスケースにおでこをくっつけて係のお姉さんに注意される」レベル。ガラスにおでこの指紋?じゃねえやアブラを残してきてしまいました。お姉さんスマン。
作品の年代が1917年と古いですし、この個体が実際いつのどこの製陶所製とか、どんなグレードの製品なのかも全然調べてないんでうっかりした事は言えません。(つまり、別に詳しくもなんともない、一切)
でもデュシャンが使った(ションベンかけてはないでしょうが)以上、モノとしての形などなどなんかしらの理由から考えていくつかある便器から選んだんだと思います。
配管との継ぎ目にあたる部分は無釉で素地がむき出しになっていて、磁器ではあろうが今の衛生陶器とは全然締りが違ってて、ちょっと粗さがあってまだサクそうな、というかポア(=気孔)が大分ある感じです。結構吸水率もあるんじゃないのかなあ?欠けてる上に古色がついてるせいでそう見えてるのかなあ?
釉薬も今の便器の薄くて厚い感じ(わかりますか?)とにかくもうしっかり均一にカッチリした感じは一切なくて、垂れて厚いところ、薄くなったところはうんと薄いし、利いてないレベルの部分もありました。かなりあっさりしたもの。貫入も見えたり。
「手作り便器です。釉yの掛りや給水性等個体差があり、それぞれ味として楽しんでください」っつったら買いますか?便器?
ザラッと薄掛けになってるところや無施釉部分が黄色っぽくなってるように見えるのが、なんともヤナ感じなんですけど、これ便所で使ってたもの引っぺがしたわけじゃないだろうから、経年のものですよね。ヨカッタヨカッタ。
まあ今回の記事、オチなんてものはないんですけどね。
今の便器スゲエ!最高!とだけは言えると思います(なんだこの流れ?)
例えば便器のように、目立つ必要がないモノ(ほかにも理化学容器等)、また、むしろ目立たないようにする必要があるもの(たとえばレストラン等の食器は店の考え方次第でそうなりますよね)という陶磁器も世の中にはいっぱいあって、そこにも職人の努力や気持ちがどんな形であれ入っています。オリジナリティレスは無価値ではないし、あるいはアンビエントセラミックスとかいった名前すら今ははないですけど環境音楽のようなジャンルのヤキモノだってあるんですよね。タイルとか
ああ、工業製品でしょ?なんて馬鹿にされがちな大量生産品でも狂いなく大量生産するための技術や設備、工程を確立する研究と努力と言ったら、「そこらの工房作家のやってる比ではない」と断言します。
機能一点張りだったり、つまんない均一な顔の「レディメイド」な陶磁器にも手作り品に対すると同じ愛を持って手に取っていただけたらなあと、狭間に生きてるコウモリヤキモノ屋は思ったのでありました。
テキトーに書いたけどアンビエントセラミックスってなんかいいね、ならば・・・
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