という時期が間違いなくあったであろうわけで、結果いま伝統文様と言われるようになったものがあり、ならなかったものもある。ハズ。
そこにはどんな静かなドラマがあったのか、ということは知りようもないので、どんなドラマのパターンがあったと考えられるのか、みたいなことをSF的に想像するのが面白かったりします。
最近は猫も杓子も独創性だのオリジナルだの誰もやってないだの、どこの世界でもそんなことばっかり言ってる人の声がデカい気もしますが・・・。
それの立派さは称えつつも、もしそれが四角四面に守られるとすると、その会社、その工房、その窯元の伝統にはなりえても、基本的に一代年寄みたいにその個人限り。
これから生まれる伝統の文様(様式でも形状でも何でもいいけど)なんてものは存在しなくなってしまうのか?
最近誰かが初めて今は広く人気だけど、それが伝統として歴史の流れに腰を落ち着けて200年経っても受け継がれていくってことは、作家のオリジナル性革新性が至上主義とされる場合には、ないんじゃないだろうか?
アングラや非合法性の高い手段を使わずに、ある作家の高い独創性を歴史に半永久的に縫い付ける手段はないんだろうか?
みたいな雑談をしたんですが、面白かった。
かなりバカでちょっと壮大な、でも条件さえ整えば比較的簡単な実験をしたいなーなんて思ってます。
そんなさわやかな時期にカルシアるつぼ。
相当珍しいみたいだけど、オリジナルでも何でもありません。フィルムでくるむのが一番簡単に通気を遮断できるみたい。というのも俺のオリジナルではありません。受け継いだ、でもまだそれほど時間のたってない伝統です。
ちなみに、個人的に、伝統文様とされる中ではいっちゃんフリーダム度がヤバイ!と思ってるのが唐子文(からこもん)。
カラコちゃんとかカンフー坊やとか言われてます(ません)
ご存じない方はちょっと「唐子 模様」みたいな感じで検索してみてください。ご存じなく無かったはずです。
チャイナな服を着た坊や、もしくは坊やたちがかわいらしく遊んでるっぽい。という以外にはあんまり条件がなさそう。絵柄から何からそりゃもう様々。
大都会の交差点で遊ばせたり、引きこもってスマホやってたり、塾で勉強してたり、ついでに隣で両親が夫婦喧嘩、とかさせれば、伝統を利用してオリジナル性を出し、しかもメッセージ性を込めることもできるという大変便利そうな伝統文だ!
絵付けには自信があるがネタに困ってる若手の皆さんにはこの情報をあげます。ただで。
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