タイトルに深い意味はないんですが、ここんところずっとタンマン管(丸底)をこれでもかってぐらい作りまくってる最中なので、同じような細長物で平底のが紛れ込むと「ああ、平底だなあ」って思っちゃうオジサンでした(なにこの文章?いる?)
週末、亡くなった叔母の葬式に行ってきました。
親父の田舎に帰れば(年に複数回ある)必ず顔合わせてたんですが、震災&原発事故以降、知らん土地に住むことになって10年、数えるほどしか会えてませんでした。
もちろん近所に親戚がいるからその地を選んだとはいえ、友達も「いつもの場所」もなんもナシ。
喋りも頭も切れ切れだったのに、会うたびにあっちもこっちもしょぼくれてったのは年のせいだけじゃねえんだろうなと思ってます。
叔母の家は第一原発にあまりにも近かったから、今は更地どころか汚染水だか廃材だかの置き場(の一角)になってるみたい。ただしこれも、そうらしいってだけの話だけど、そうでなくても、ご近所さんちや回り一面の畑もすぐそばの海までまっすぐ続いてた道も全部まっさら無くなっちまって、あの場所に人はもう住めねえってのは多分相当永遠に事実。
同じような話は日本だけじゃなくてウクライナにもくさるほどあるんだろうなあ、みたいな。
確率や損得勘定だけじゃあ納得するわけにいかない話ってのも俺にはあります。
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