2019年12月19日木曜日

アルミナるつぼと・・・手びねりの境界線

 年(度)末が近付き、何かとバタバタ忙しくなっています。
 うちはユーザーの90%(勘定してないけど多分)が大学と公立の研究所ですので、そろそろ予算の締めが近付いて、るつぼのような消耗品をゲットするには絶好のタイミングなんですかね。あんまりこういうこと言っちゃいけないのかな?
 残り予算の都合でしょうね、普段リピートいただく時とは違う本数、場合によってはなんだその半端な数は!二桁の素数ときたか!みたいなこともあって毎年のひそかな楽しみになっています。
 今なら何しろ毎日アルミナとジルコニアは作ってますので型さえあればびっくりするぐらいの短納期で製作できるかもしれませんので、どしどしご注文お待ちしています。(とはいえ今発注で年内はもう無理っす)
 
 そんな中でアルミナの単結晶るつぼ。


 これは近々作りましたよってだけで製品のウンチク語りはしません。

 これは石膏型に排泥鋳込みで成形し、ナイフとペーパータオルで仕上げた後焼成したものです。

 これって手作り?

 なんて愚にもつかない意味なきどうでもいい話ですが、このくそ忙しいのにねぇ。

「手作り」ってどこまでなのかって微妙ですよね。ジャンルやモノによっても違うでしょ?
 以下全部想像ですけど
 ネジだったら普通ネジつくりマシンからにゅるにゅる出てくるのを任意の長さで次々切り飛ばしてほぼほぼ自動で作るわけで、それは手作りとは言えなさそうですよね?それは分かる。特注品をオジサンが旋盤で山切り出せばそれは手作り?
 鋳物なんかだと手作り(多分そう謳ってるのあるよね?)とそうでないのの違いは工場や設備のサイズと立派さだけがちがいかね?バリ取りや湯口だって素手じゃ切り落とせないでしょ。
 機械が据え置きか手持ちかだけの違いですか?

 まー、100均で見つけてきたあれやこれを100均の箱に100均ボンドで引っ付けたほっこりファンシーな何かは手作りなん?
 
 あとこれは昔から俺の持ちネタなんですが「天然の木の家」つったってその檜や杉は植林したもんなんだから「それ、魚だったら養殖だぞ!」みたいな。

 この辺で言っておきますが、境界線をはっきりしろ!とか、そんなの手作りじゃない!とか言いたいわけじゃないんですよ。そんなんそん時の気分とかいろいろの都合だわ!ぶっちゃけどうでもいいよなって話ですからお間違え無きよう。

 ことほど左様に手作りの境界線は極めてあいまいなわけです。だからどうでもいいです。好きにして。


 次。ヤキモノ屋としてはココだ!手びねりの境界線。
 
 ユーチューブを見て「手びねりではなくてロクロ成形じゃん!」と某友人が教えてくれました。

 たとえば玉作りでも紐積みでもいいんですが、手回しろくろ上で始まるわけですよ。で、その後、ロクロを強く回してロクロ引きしたり整えたりするわけです。
「手びねりで〇〇を作る」じゃねえじゃん「結局ロクロ」じゃんか!モートルがついてねえだけだろ!(その友人、通称パチーノ君は機械系なのでモーターをモートルって言う)

 確かに!結局それじゃあ世界の浜ショーと同じ、手回しろくろによる成形です。

 玉塊から始めるか、より紐を巻き上げるか、シッピいた板を筒にしてから始めるか、は、単にスタートに過ぎない!
 ロクロの回転から発生する力を成形に決定的に利用したらロクロ成形なのでは?
 ロクロを単なる向きを変えやすい台、として利用するのは構わないが、形は静止した土に対して動く手が決めるのが手びねりでは?とのこと。
 前にわが家で土器とか作った時にもそんな話が出たんですが、うちのカミサンも結構原理主義的手びねり人なので強くこの見解。

 ココロの奥ではぶっちゃけマジどうでもいいんですが、もし誰かに聞かれて答えなくてはならないときは、「ロクロを旋盤として使ったらそれは手びねりじゃない!」と答えると思います。・・・多分。

 あんまり考えると、じゃあコテもちょっとした型も使うなよ!とか、死ぬほど不毛でめんどくさいんでアンマリ考えないで置くのをお勧めします。

 なんでもいいわ!

 

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