今年もこの時期がやってまいりました。
小学校での体験教室。
卒業する6年生のみんなと「歴史の勉強」のタテマエでガッツリ粘土細工&火遊びをするわけです。むしろ先生のほうが燃え上がってたりして(笑
写真は去年の様子。
成形、焼成と中二週間で二日に分けて行うんですが、ちったあ授業っぽい話もしなくてはいけない。人一倍おしゃべりオジサンなんですが、まじめな話を人前でするなんてのは全くできない不出来モノ。親の葬式でもあった日にはまともにこなせるんだろうかと我ながら心配しています。
まあアンチョコはあるんですが、毎年同じじゃ先生も飽きる、というわけで、今年は、社会の教科書に出てくるやきものの説明を教科書よりちょっと踏み込んでみようと思いました。
こちとら作る専門で歴史など門外漢。なんとかA4二枚にまとめましたが自信がないので、決定的に間違ってたり、言い過ぎてたり言い足りない部分があると思います。
識者の皆様、校正お願いいたします。
以下、プリント予定の文章貼り付けます!
実際は口で説明を足しながらの予定です。
日本史の授業で習うヤキモノ、プチおさらい
縄文時代 縄文土器、土偶
弥生時代 弥生土器
古墳時代 土師器(はじき)~後期から須恵器(すえき)
埴輪
時代が下るにしたがって、たんに野焼き~穴掘ったり上にかぶせものをしたりと焼成用に工夫する~専用に設備=窯を作って中で焼く、といった焼成(窯焚き)の技術向上で強い焼き物が上手に作れるようになっていきました。
縄文土器と弥生土器の違いですが、やはり生産技術的に向上したことで薄くても丈夫に作れている、ということだと思います。稲作の伝搬に伴って発達、分布しているので器の形状は穀物中心の生活に向く方向に使いやすく洗練されているようです。
弥生時代から古墳時代にかけて、大陸からの渡来人が進んだ技術を持ち込んできたおかげで、ヤキモノに限らずいろいろな分野で技術向上があったようです。
これ以降は実用性重視に伴って、祭祀用など特別な理由がない限り無駄に派手な装飾はなくなっていきますので、見た目面白いもんは少ないですね。バカカッコいいだけで実は使いにくいような改造をしたギターや車などは今に息づく縄文的マインドかもね。
「土師器」は物性的に弥生土器と大きく変わるものではありません。古墳時代以降のものを土師器と呼ぶことになっているようです。もちろん技術的には進んでいきます。
「須恵器」は現在の多くの食器などと同じように1200℃以上で焼かれていて大雑把な分類としては土器よりも強く硬く焼かれてより吸水性の低い「陶器」になります。土師器までは「土器」です
実際「須恵器」になると現在のものと作りも強さもさして変わらず、以降、生活用品としてのヤキモノは、革命的な大発明による本質的な進化は特別していないように思われます。機械化はもちろん進んでいますし、釉薬という表面をうつくしく清浄に保つためのガラス質のコーティングは多種多様になりました。
土偶と埴輪はごっちゃにされがちですが、時代がまるっきり違います。
縄文時代に作られたのが土偶。これが何の役目があったのかは諸説ありますが、とにかく縄文時代。
埴輪は古墳時代に作られたもので、土師器です。人や動物だけでなく、家の形や船の形、ただの筒みたいなものからいろいろあります。
権力者の陵墓(現代から見ればそれが古墳)によく並べられてます。
この時代になると王様から奴隷までどうしようもないほど身分格差が出来上がってるのが嫌ですね。
なんと、これ以降はその時代の文化を特色づける文物、としてのヤキモノは社会の教科書的には登場しません。先史時代まで。
(同時代の文書記録による「歴史」まだない時代を先史時代と言います。日本の場合は古墳時代まで)
残念ながら素材としてのヤキモノには、金属(青銅器や鉄器)や石油、プラスチックのように歴史や権力構造を大きく変える力はあまりないみたいですが、身の回りの毎日の生活に同じように存在してるので、たまには気にしてみてください。