なんて毎年まったくおんなじ聞きかじっただけのようなこと繰り返している我が家のも含むその辺の年寄りのようなアバウトな前置きはさておき・・・
夏=暑い=ダレる=ソーメン=蕎麦猪口
というのは「夏の第一法則」として誰もがたどり着く実感ですよね。特に若い一人暮らしの男性なんかは毎日毎日ソーメンばっかり食ってると思うんですよ。少なくとも私はそうでした。
必然的に蕎麦猪口が必要になってくるわけですね。それも毎日毎日。まあソロ男子の場合、蛇口で冷やしたソーメンをまた鍋の中に戻して桃屋のめんつゆダイレクトスプラッシュすれば洗いモノ鍋とザルと箸だけじゃね?という極めて合理的な結論に至るのも経験上確実なんですが、誰も見ていないところで徳を積むのが大事。
「ああ、こんなんだから俺には彼女ができないんだ」という心の声でも、
「お前はまだジェダイには早いぞ」という茶色いガウンを着たオッサンのテレパシーでもなんでもいいので感じていただきたい。
しかも今年からヤキモノ教室に通いだして楽しくやってるというパチーノ(このおせっかいなだけの教習シリーズの仕掛け人、私の友人)が「俺、今度みんなで蕎麦猪口作るんだよ、グヘヘ。なんかかっこいいアイデアない?」なんてこと言ってきてるんですよね。何がグヘヘだよ。
そんなこんなで(なにが?)とにかく蕎麦猪口を作ろうぜ!ということで、製作技術的な面ではなく、機能性の器を「設計」してみるという観点から考察してみようと思います。
うちにある蕎麦猪口と当て馬
左から二番目は会津本郷酔月窯の逸品(超丈夫)
蕎麦猪口は文化生活経験上、ある程度以上形が決まっていて、あんまり珍しい形になると作った本人がどんなに言い張ろうと蕎麦猪口としては理解、認識してもらえなさそうという制約がありそう(たとえば上の写真の一番右)ですから、形のデザイン方面の自由度が低い=理詰めでやれそうな範囲がデカいじゃね?=田舎のるつぼ屋でもノーガキこけそう、という気がします。出来はさておき。(まあしくじったところで使えないってことはなさそーやね)
で設計です。
要はどんな出来上がりになるかを考えるってことなんですが、ここではとりあえず寸法や形状の確認から。当然出来上がりのイメージや印象からスタートするわけですが、基本の機能面でのプロファイルを考えるってことに狭めておきます。
つまり、口径、底径、外壁面の傾斜角度、高台の有無、形状といった目で見ての外の形の部分。
肉厚、重量と重量配分という質量感(今作った造語ですよ)部分。
主に見込の釉薬の機能的性質(=耐汚れ性面など)
あたりですかね。
かっこいい、素敵!といったガラやしのぎ等の装飾そのものについてってのはとりあえず別口で考えましょう。
たとえば「ぽってりぷくぷくとした暖かい丸みのある蕎麦猪口です。コックリチョコレート色の釉薬でお化粧しました。チュルチュルお蕎麦タイムに、またプディングなどいれてアフタヌーンティーでほっこり!(注:本当は顔文字タップリ)」なんてのは、その実「なんだかロクロだか手びねりだかわからないような何ともボコボコした厚手の丸っこい茶色いカップ(たぶん畳付部分がすごく小さい)」って全体の印象のみ
蕎麦猪口は蕎麦食うだけじゃなくて、ちょっとした小鉢的な使い方、つくりによってはめんつゆの残り以外の飲み物を飲むためのコップ的使い方もしますよね。そこでなるたけ幅広く使えるような設計にしてみましょう。小鉢って言っても蕎麦食ったりしないですけど、蕎麦猪口なら蕎麦も食う。
つまり名前だけの問題のような気もしますが蕎麦猪口>小鉢、コップという守備範囲なわけです。
つまり我々は「高機能=蕎麦猪口。最低限必要なのは小鉢でもカップでもなく蕎麦猪口である」という結論に達しているわけです(われわれじゃねーだろ)
まあ蕎麦猪口をなにかと使いまわす、なんてみんなやってることだけどわざわざイコールを取っ払って「高機能蕎麦猪口」なんて名付ける厚かましさを身につけ、言ったもん勝ち精神で考えてみましょう。先程の「ほっこりなアレ」よりは五十歩百歩の五十歩の方なはずです(だから冗談ですよ!)
まずはここから。まあこれガラスですけどね。
たとえばこれだと口つけて飲むには口が開きすぎてる感じです
裏っ側どうしようかねえ~
四角かったりしちゃいけないものか?丸くなきゃいけない理由はあるか?
例によって無駄口が長すぎてますが、次回から定番であろう寸法形状あたりから設計スタートしてみましょう。
問題は俺が売れないヤキモノ屋なので真似だけはしないほうがいいですよってことですかね?
何か作ろうって時にどういう順序で考えるといいだろうか?という思考の実験をスナック感覚で楽しんでいただければと…
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